たとえもの

アニメとかラジオとか好きでした。今はふつうです

文字媒体の可能性

 僕の人生で掛け値なしに楽しかったのは、テキストサイト、大学、無職、その三つである。

 いや、そもそも大学、無職は職種ではあるからわかるとして、テキストサイトて。テキストサイトてなんだよ比較対象にすらならねえよ。もちろん僕もそう思いますが、まあみんな聞いて聞いて。対象に酒タバコ女入れてないんだからまだまともに話し合えるはずだ。入れてたら昭和に帰れで一蹴されるか。昭和生まれですみません。

 テキストサイト、大学、無職。この順に書いたのは意味がある。僕は大学に入る前にテキストサイトを覗いていたのだ。つまりこれは、高校、大学、無職、と言い換えられると言っていいだろう。その高校という輝かしい青春真っ只中を僕はあろうことかテキストサイトに全部ぶち込んでしまい、そしてその末にめっちゃくちゃに楽しんだということなのだ。

 もっというと、僕が大学に入るころにはもうネットで動画がある時代だった。にも関わらず、テキストサイト、ユーチューブ、無職、とはならないのだ。これは自分で書いていてもとても興味深いことと思える。それとmixiなどもすでに流行っていた。にもかかわらず、mixiは僕に衝撃を与えなかった。あくまでも僕の中に常に、テキストサイト、というものが最大で最高の誰でもできるし誰でも楽しめるネット娯楽としてあったからだ。

 動画を作成するには技術がいる。ある程度の知識や技術が大前提にある。それを苦も無く得られる人にとってはそれはなんとも思わない米粒のようなものだろうが、不幸なことに日本国民はそこまでではありません。動画作成? めんどくせえ、と思う方が大半です。では生配信の切り抜きならば。それも面倒くさい。なぜならば何度も見返して編集しなければなりません。結局大体のことがめんどうでなにもやりたくねえ、という結論になるのです。だけど、文字を書く、ということならばできそうではありませんか。

 いや、もっと極端に言えば、何かを話すのは出来ることではないでしょうか。それを文章に置き換えればいいだけです。表現として文字を使うだけ、という話です。友達や家族と会話をするのは、容易である人の方が大多数です。それをそのまま、ネットに投げつければいいのです。もっと言えば、人どころか鏡に投げつけたり独り言をしたりすることをそのまま書き出すだけでいいのです。

 もちろんそのまま出すのが良しとは言えないのが困りものではあります。ですが考え方を少し変えてみてください。世の中で素っ裸で外を歩き回る人がどれだけいるでしょうか? 求められているフォーマルはおそらくそれです。当然のことながら原始人は求められていません。ですが僕らは服を着ることができます。服を着ることさえできる僕らにはおそるるにたりぬことと言えるでしょう。

 僕の中でその結論が出たので久々に書きました。

2011年07月10日の日記

 ドアを開けると朝の匂いがした。まだ少し暗い。自転車の鍵を鎖し、まだ過ごしやすい気温の中走る。近所の交差点は車が一台しかなく、赤信号なのに車が動いていた。そんな光景を尻目に坂を下ると、普段では車が並んでいる道に車がない。まるで人が消えたみたいだ、なんて思えばすぐに車が現れた。長い坂をブレーキもせずに下る。
 普段はそれなりに電車が通る線路も、早朝ではまだ運行していない。線路に電車が止まっていた。坂だらけの道を走っていると目当てのイオンが見えてくる。到着する前に、買い物に来たのだが、何を買うのか考えていなかったことに気付いた。先に松屋で朝食を食べることにする。
 自転車はイオンの駐輪場にとめた。松屋は歩いて一分もしない距離にある。近くのローソンの前に4人組の大学生風がいて、熱心におしゃべりに熱中していた。
 駅前は五時前の時間だというのに活気があった。一目散に松屋へと入ると、突っ伏している男性がいた。飲み屋帰りだろうか、と思いながら食券を買う。この時間だとまだ朝食メニューもやっていない。すでに朝のような光はあるのに、不思議なものだと思った。
 食券を差し出すと疲れた顔をした店員がメニューを復唱する。カウンターのでうろちょろするだけでお冷を出してくれなかった。丼が出来上がると頼んだメニューとは違うメニューを言いながら差し出してきた。言い終わったあとに間違えに気付いて、申し訳程度に言い直していた。みそ汁を渡される時に、ついでにお冷を頼む。全く気付いていなかったそぶりを見せて、コップに水を注いで出してきた。
 食べ終わり、店を出る前に水をもう一杯もらう。お冷を飲みながら寝ている男性を見ると、ぴくりとも動かなかった。
 イオンに入る前にローソンの前を見ると、4人組はまだいた。元気なものだと思ってイオンに入る。先に松屋に行ったは良いものの特に買うものは考えていなかった。野菜コーナーを見ながら、いくら自炊をするようになったと言ってもまた野菜を腐らせるのはごめんだと思って買うのを諦めた。カップ麺コーナーを覗き、家にまだまだカップ麺とインスタント麺があることを思い出す。家にないはずのそばを二つだけ買った。
 飲料コーナーでは店員が品出しをしていて、まるでここにいてはいけないような、そんな場違いな気分に陥る。アルコールのコーナーは一人しかいなく、まだ落ち着いて見れた。ビールを1ケース買う。水2リットルと、何故か1.5リットルのコーラを買った。158円は安いと思ったからだろうか。
 つまみになりそうな柿の種を買い、清算を済ます。店員は早朝からビールを買う人間に何か思うのだろうかだなんて考えていたら、不意打ちのように箸をいるか聞かれた。思わず頷いてしまった。
 帰り際、警備員につっかかる男性を見た。なに、とか、なんなの、とか、をずっと言って睨みつけていた。何をそんなに疑問に思っているのだろうか。女性を連れ立っていたが、その女性が恥ずかしいとは思わないのだろうか。ただ、そんな男性と一緒にいる女性も馬鹿だと思った。
 駐輪所に行く途中にローソンを見ると店員が掃き掃除をしていた。4人組はもういなかった。
 帰宅途中、ウイスキーを買うことにする。最近気付いたのだが、ウイスキーウイスキーでも、バーボンが好みだったらしい。そして、イオンでは酒コーナーが開いていないので、近所のマルエツに行こうと決めた。どうせならコンビニにも行って割り材のジンジャエールを買うことにしよう。ただ、一度家に戻って荷物を置いておくことにする。
 アパートの入口には猫が堂々と寝転がっていた。通ると怪訝な表情で睨みつけられてしまった。自転車を置き、家の鍵を取り出しながら猫を見ていると、うっとおしそうに起き上がり、視界から消えていった。

昔から思ってたこと全部

 今まで思ってきたこと色々ありますが、今日だけはこれはまとめないとならないと決心して書きます。否定されてもいい。でも、多分、ある程度の共感は得られるだろうと思って書きます。


 オタクイベントでもオタクは外に追いやられてね?


 この一言を書くに至った心境は色々あるし、是非を問うわけではまったくないのです。ただ、あり方としての疑問です。なんというか、概念的な問題です。どうしても譲れない信念といっても言い換えてもいいかもしれない。ともかく、僕の中でどうしてもやっぱり文章として残しておきたかったのです。

 そもそもオタクってなに?というところから始めましょう。そもそもの言葉、というよりもレッテルを貼り付けられたのは、そういう人種が相手のことをおたくは~~と相手のことを呼ぶことが発祥だった、ということを聞き及んだことがあります。ですが、それは発祥としての問題であり呼称にはあまりかかわりがないのでおいておきます。では、そういう人種っていうのはなんでしょうか? そう、アニメやゲームやそういったカルチャーが好きな人という意味で捉えていいでしょう。

 いや? それで本当にいいのか? という話です。

 これはもっと精神的な話です。オタク気質、オタクっぽい、そういう概念での共通項の話なのです。もっというと、いくらアニメやゲームに超詳しくても、オタクではないって人、いてもぜんぜんおかしくない。そういうのはもっと、感覚的なものなのです。超絶色々なものに詳しくてコミュニケーションを取れてハイパーウルトラ勉強もできて何もかもがすべて上手くいくような人がいたとして、でもその人が一番好きなのはアニメです、ってなったときに、その人がオタクなのかということです。本人もオタクだと自負していても、僕はそれに懐疑的です。

 違うんだよ、オタクというのはもっと違う存在なんだよっていつだって思ってます。

 教室の隅でグループ分けされた時の狭い集団になりどうしてもそれ以上のところに混じれない人たちや、それすらもなじめずただ孤独に一人うつむくだけの人たち、そういった人種がどうしてもスポーツやグループ行動になじめずに始めた趣味がアニメやゲームになり、つまるところそういう人たちを総じてそういうような特徴があるからとして呼ぶ名のものがオタクだと、僕は思っています。

 もっとはっきり言ってしまうと、気持ち悪くて集団にも馴染めず自己否定が激しくそのくせ自意識過剰で妄想癖もありでもなんとなくこれまでやってきてしまった人たちです。今風にわかりやすく言い換えたら、クラスカースト最下層なのになぜかここまでやってこれてしまった人たちの総称です。そういう人が総じてアニメやゲーム漫画といった方面の趣味に走っているからそうなっただけです。

 今の人たちのほうが、おそらく本質をついているといってもいいでしょう。アニメが好き、ゲームが好き、漫画が好き、そういう客観的な物事の視野で言葉を使えている。ですが、僕はどうしてもなじめない。そういうものじゃなかったじゃないか。オタクというものはもっと気持ち悪くて嫉妬深くで自分の好きなものは自分が一番好きだと証明したくてそのくせ意見発表もできないような自己矛盾の激しいおそろしく身勝手な人のことじゃなかったのか、と。

 本題に戻ります。オタクイベントでもオタクは外に追いやられてね?っていう話、要するにそういうことです。まあオタクイベントでもツイッター上でもいいです。結局のところ、はみ出しものははみ出しもののあるべきところにいってしまうわけです。みんなオタクだ、と思ったところで精神的なところでそこですらさらけ出せなかったりするわけです。それが悪いだなんて僕は言いません。なんでしたら、僕はそれでいいと思うわけです。

 気持ち悪くて嫉妬深くで自分の好きなものは自分が一番好きだと証明したくてそのくせ意見発表もできないような自己矛盾の激しいおそろしく身勝手な人、それを満足させるようなものがあっていいはずなのです。そしてそれがアニメやゲームや漫画などの中にも、あったわけです。そういう世界でそういった文化があって、そういうものとして進化を遂げ、多分、それがネットなどの時代の変化もあり周囲に触れた。そして、多分、結構受け入れられてしまった。受け入れられてしまったのです。

 もしかしたら、気持ち悪いって言われたほうがよかったのかもしれない。

 別に、誰かと共有なんてしたくなかった。この面白さは自分の中に留めておいてよかった。だけど、どうしてもそれを抑え切れられなくなって出てしまった、というのが僕の中の創作です。もちろんこれは理想の、という形容詞がつきます。世の中はそうは上手くいってないでしょうから。でも、そうであって欲しかったし、そうであって欲しいんです。それで上手く回って欲しいんです。僕は、気持ち悪くて嫉妬深くで自分の好きなものは自分が一番好きだと証明したくてそのくせ意見発表もできないような自己矛盾の激しいおそろしく身勝手な人、なので、どうしてもそう思うんです。

 ただ、ありのままの自分を受け入れられるところが欲しかっただけなのにね。

この第一話がすごい!

 アクティヴレイドが素晴らしいという話をします。僕がこれを面白く感じる要因は一つだけではなく様々あり、それを逐一説明したいところなのですが、長々と語っても人に伝わらないということを学びつつあります。情報は質よりも量です。なので最初に簡単にまとめて、後に詳しく載せるという形を取りたいと思います。興味を持った方が長々とした文章を読んでもらえればということで要因をつらつらとあげます。


 スタッフ(谷口悟朗中川幸太郎など)
 キャスト(石上静香島崎信長倉田雅世など)
 一話の出来の良さ(テンポの良さ、キャラなど)


 こういった面が抜きんでていると思います。いや、なんていうか一話の出来の良さ以外に逆になにが要因になるんだよって話ではあるんですけど。前者二つは放映前からの情報で面白いと期待しており、放映後それを確信したという話なのです。

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僕の小規模な胃腸

 久しぶりに外出した折に懇意にしているお店に行きました。そこはもう馴染の店で数年間通っているような店なのですが、その日は何か月かぶりでした。相変わらず楽しく飲めて騒げて楽しい時間を過ごし、気分のいいまま腹ごしらえでもしようかとラーメン店で飯を食ってから帰ることに。そこの店は世間的にもそれなりに有名で美味しいです。酔っぱらったまま、記憶も定かでないまま麺二倍の大盛りを食い切り、家路につきました。


 明け方五時頃、目が醒めると同時にやってきたのは嘔吐感です。ああ、これはやっちまったやつだな、なんて思いながら、うう、うう、と唸り声。動くことも億劫で頭痛に苛まれながら、学戦都市アスタリスクを視聴しました。幸い、アルコール自体はそこまで厳しい状態ではありません。ただただ、食べたラーメンが辛いのです。傍目からはきっと暢気にアニメを見ている人に見えたことでしょうが、内心では気持ち悪い気持ち悪いとなってました。その内、頭痛も酷くなり、無理やり水を飲むことに。それで頭痛が急に引くはずもなく、落ち着きないままベッドでごろごろと転がりました。気分転換という意味もあるし、明け方で肌寒かったという事情もあり、シャワーを浴びようとようやく重い体を動かしました。風呂場は明け方ということもあり冷えていて、だんだんと目がさえてきました。


 そしてそこで嘔吐しました。目の前に広がるのは昨晩、酔っぱらったまま食ったラーメンそのものでした。噛み切っていないメンマやもやし、細切れになった麺が口から次から次へと出てくるのです。胃の中にこんなにも物が入っているのかと不思議に感じながらも、一回、二回とべちゃべちゃと物音をさせながら、口からスープの色付けをした麺が面白いくらいに出てきて、そのうち吐き気も落ち着き、風呂場一面にラーメンのようなゲロのような、どちらともとれるような液体のような個体のようなものが広がりました。


 その時僕は、やっちまったでもなく、いい歳して恥ずかしいでもなく、もったいないという感情で埋め尽くされてしまいました。


 目の前に広がった未消化のラーメンのようなものが、ただの栄養素の塊にしか思えなかったのです。お金を払って食べたものを吐きだすだなんてとんでもない。僕はそんな裕福な金銭事情ではないのです。今すぐにでもこの吐きだしたものを口の中に含み飲みこんでしまいたい。幸運なことにここは風呂場です。トイレから救い上げて飲みこむことに比べれば断然マシでしょう。綺麗な場所に落ちているものなのだから、部屋で落としたものを食べるよりもよほど問題はない。


 そこでやっと正気に戻りました。これはラーメンでもなければ栄養の塊でもなく、ただのゲロです。風呂場で吐いたゲロを口に含もうだなんて、もはや人間の尊厳を失っている行為です。親がこんな姿を見れば涙を流すでしょう。裸のまま風呂場を這い出て、ビニール袋を掴み、タイル一面に広がったゲロをせっせと袋に詰め込みます。べちゃべちゃと油だらけの麺を、未消化のメンマを、細切れになったもやしを、素っ裸で一人で詰め込み、それをまた裸のままトイレまで行き、流すことに。こんなことなら、最初からトイレに駆け込み吐きだしていればよかったのに。だけど、胃の中にあるものを、吐きだしたくはなかったのです。シャワーを浴びて、気がまぎれればと思っただけなのです。


 体を洗う気力もなく、そのまま倒れこみながらシャワーを浴びました。ふと見ればもやしの欠片がまだ残っていて、一つまみして口に放り込み、一センチにも満たないそれを噛み、飲みこみました。


 風呂場から這い出ると訳の分からない声をあげながらベッドでのた打ち回り、水を飲めば胃が縮小しトイレで吐き、吐くと同時に頭痛がひどくなり、また訳の分からない声をあげてのた打ち回る。そのうちトイレにいちいち行くのが面倒になり、トイレで横に倒れこむ。便を出そうとしてトイレにいるだけなのに、吐きだしたくて吐きだしたくてたまらなくなるのです。もう口からはラーメンのようなものなんて出てこず、先ほど口にした水が出てくるだけ。ああもったいない、もったいない。せっかくお金を出して買った水だというのに、胃が受け付けないのです。もうなにも入らないと、喉の奥底から悲痛な運動をするのです。


 寝ているのかどうかわからないような、無意味な時間が過ぎ去るとようやく体力も回復し、コンビニに行けるようになりました。そこでポカリスエットレッドブルと水を買い、すっかり痛みもなくなった頭でアニメを眺めてました。おそまつさん、面白いなあ。本当に面白いなあ。


 貧乏は人の尊厳を破壊します。目の前のものが全て金銭効率で換算され、服選びの際にMサイズかLサイズか悩んだあげく、同じ値段で生地が多いからというわけのわからない理由でLサイズを手に取ったりします。そしてああやっぱりMサイズのほうが適正サイズだったな、と後悔するのです。だけどこっちの方がお得だったはずだ、という思考は抜けきらないのです。


 物事には適切な量やサイズというものがあるというのに、僕は未だに外食する際に大盛りを選ぶことがほとんどです。せっかくだから、後からお腹がすくぐらいなら今の内に、たった百円ほどで多くなるのなら、そういう言い訳ばかり探してたった大盛りラーメン一杯すらも入りきらないような胃に無理やり詰め込んでいます。どれもこれも、ケチであるからであり貧乏であるからであり、結局世の中はまともにお金を持っていなければ人格なんて簡単に破たんしてしまうのです。簡単に自身の体に負担をかけてしまうのです。貧乏は緩慢な自殺です。不幸な事故に見せかけたただの自殺です。ただの主張も何もない、遠くない未来必ず起こることを一生懸命に手繰り寄せるだけの行為です。だからちゃんと、お金を稼ぎましょう。お金を稼ぐことがなによりも幸福なことです。少なくとも、お金がないときよりもよほど人間的であるのは間違いないのですから。

心が叫びたがっているので叫んでみよう

 心が叫びたがっているんだ。のキャラクタについての感想をネタバレしまくりながら書ききってやろうと決めたので書きます。いかに僕がこのキャラについてむかついたかを書きたいから書きます。ほかはおまけです。

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