たとえもの

アニメとかラジオとか好きでした。今はふつうです

僕の小規模な胃腸

 久しぶりに外出した折に懇意にしているお店に行きました。そこはもう馴染の店で数年間通っているような店なのですが、その日は何か月かぶりでした。相変わらず楽しく飲めて騒げて楽しい時間を過ごし、気分のいいまま腹ごしらえでもしようかとラーメン店で飯を食ってから帰ることに。そこの店は世間的にもそれなりに有名で美味しいです。酔っぱらったまま、記憶も定かでないまま麺二倍の大盛りを食い切り、家路につきました。


 明け方五時頃、目が醒めると同時にやってきたのは嘔吐感です。ああ、これはやっちまったやつだな、なんて思いながら、うう、うう、と唸り声。動くことも億劫で頭痛に苛まれながら、学戦都市アスタリスクを視聴しました。幸い、アルコール自体はそこまで厳しい状態ではありません。ただただ、食べたラーメンが辛いのです。傍目からはきっと暢気にアニメを見ている人に見えたことでしょうが、内心では気持ち悪い気持ち悪いとなってました。その内、頭痛も酷くなり、無理やり水を飲むことに。それで頭痛が急に引くはずもなく、落ち着きないままベッドでごろごろと転がりました。気分転換という意味もあるし、明け方で肌寒かったという事情もあり、シャワーを浴びようとようやく重い体を動かしました。風呂場は明け方ということもあり冷えていて、だんだんと目がさえてきました。


 そしてそこで嘔吐しました。目の前に広がるのは昨晩、酔っぱらったまま食ったラーメンそのものでした。噛み切っていないメンマやもやし、細切れになった麺が口から次から次へと出てくるのです。胃の中にこんなにも物が入っているのかと不思議に感じながらも、一回、二回とべちゃべちゃと物音をさせながら、口からスープの色付けをした麺が面白いくらいに出てきて、そのうち吐き気も落ち着き、風呂場一面にラーメンのようなゲロのような、どちらともとれるような液体のような個体のようなものが広がりました。


 その時僕は、やっちまったでもなく、いい歳して恥ずかしいでもなく、もったいないという感情で埋め尽くされてしまいました。


 目の前に広がった未消化のラーメンのようなものが、ただの栄養素の塊にしか思えなかったのです。お金を払って食べたものを吐きだすだなんてとんでもない。僕はそんな裕福な金銭事情ではないのです。今すぐにでもこの吐きだしたものを口の中に含み飲みこんでしまいたい。幸運なことにここは風呂場です。トイレから救い上げて飲みこむことに比べれば断然マシでしょう。綺麗な場所に落ちているものなのだから、部屋で落としたものを食べるよりもよほど問題はない。


 そこでやっと正気に戻りました。これはラーメンでもなければ栄養の塊でもなく、ただのゲロです。風呂場で吐いたゲロを口に含もうだなんて、もはや人間の尊厳を失っている行為です。親がこんな姿を見れば涙を流すでしょう。裸のまま風呂場を這い出て、ビニール袋を掴み、タイル一面に広がったゲロをせっせと袋に詰め込みます。べちゃべちゃと油だらけの麺を、未消化のメンマを、細切れになったもやしを、素っ裸で一人で詰め込み、それをまた裸のままトイレまで行き、流すことに。こんなことなら、最初からトイレに駆け込み吐きだしていればよかったのに。だけど、胃の中にあるものを、吐きだしたくはなかったのです。シャワーを浴びて、気がまぎれればと思っただけなのです。


 体を洗う気力もなく、そのまま倒れこみながらシャワーを浴びました。ふと見ればもやしの欠片がまだ残っていて、一つまみして口に放り込み、一センチにも満たないそれを噛み、飲みこみました。


 風呂場から這い出ると訳の分からない声をあげながらベッドでのた打ち回り、水を飲めば胃が縮小しトイレで吐き、吐くと同時に頭痛がひどくなり、また訳の分からない声をあげてのた打ち回る。そのうちトイレにいちいち行くのが面倒になり、トイレで横に倒れこむ。便を出そうとしてトイレにいるだけなのに、吐きだしたくて吐きだしたくてたまらなくなるのです。もう口からはラーメンのようなものなんて出てこず、先ほど口にした水が出てくるだけ。ああもったいない、もったいない。せっかくお金を出して買った水だというのに、胃が受け付けないのです。もうなにも入らないと、喉の奥底から悲痛な運動をするのです。


 寝ているのかどうかわからないような、無意味な時間が過ぎ去るとようやく体力も回復し、コンビニに行けるようになりました。そこでポカリスエットレッドブルと水を買い、すっかり痛みもなくなった頭でアニメを眺めてました。おそまつさん、面白いなあ。本当に面白いなあ。


 貧乏は人の尊厳を破壊します。目の前のものが全て金銭効率で換算され、服選びの際にMサイズかLサイズか悩んだあげく、同じ値段で生地が多いからというわけのわからない理由でLサイズを手に取ったりします。そしてああやっぱりMサイズのほうが適正サイズだったな、と後悔するのです。だけどこっちの方がお得だったはずだ、という思考は抜けきらないのです。


 物事には適切な量やサイズというものがあるというのに、僕は未だに外食する際に大盛りを選ぶことがほとんどです。せっかくだから、後からお腹がすくぐらいなら今の内に、たった百円ほどで多くなるのなら、そういう言い訳ばかり探してたった大盛りラーメン一杯すらも入りきらないような胃に無理やり詰め込んでいます。どれもこれも、ケチであるからであり貧乏であるからであり、結局世の中はまともにお金を持っていなければ人格なんて簡単に破たんしてしまうのです。簡単に自身の体に負担をかけてしまうのです。貧乏は緩慢な自殺です。不幸な事故に見せかけたただの自殺です。ただの主張も何もない、遠くない未来必ず起こることを一生懸命に手繰り寄せるだけの行為です。だからちゃんと、お金を稼ぎましょう。お金を稼ぐことがなによりも幸福なことです。少なくとも、お金がないときよりもよほど人間的であるのは間違いないのですから。